アラスカを愛した著名人達

アラスカはその80余年にわたる歴史の中で、多くの著名人に愛されてまいりました。

アラスカを贔屓いただいた方の筆頭は、山本為三郎氏、村山長挙ご夫妻はもとより、阪急の創立者小林一三氏、当時武田製薬社長だった武田和敬氏、大阪府知事であった柴田善三郎氏、ナショナル・シティ・バンクの大阪支店長であったチェンバレン氏、六代目・尾上菊五郎氏、新派の喜多村緑郎氏、水谷八重子氏、花柳章太郎氏らの師匠、川口松太郎氏、市川猿之助氏、作家の谷崎潤一郎氏、菊池寛氏、吉屋信子氏、慶應義塾大学学長であられた小泉信三氏ら枚挙にいとまがない。

谷崎潤一郎氏の「細雪」の中にも 「ちゃうど時分時なので、アラスカへ誘ふ気なのだと察した貞之助…」というようにアラスカはよく小説や雑誌に登場し、恋人同士の語らいの場面、上流社会の会話に描写された。

 著名人からいただいた言葉

「アラスカ、ここは純フランス料理を吟味して食はせるが、あたしの知る限りでは日本で一番うまい洋食だと思ふ。
出て来る料理が皆あつくて手のつけられぬものばかり、これは器具が揃っているからではないかと思ふ。
今度東京にも支店を出すさうだから、大分こたへる店があるだらう」
喜多村緑郎氏(昭和7年 読売新聞)

「ここならヨーロッパ一流のレストランにも決してひけはとらないネ」
洋画家・伊藤康氏(昭和7年 朝日ビルクラブ創刊号)

「五月四日、五時半から朝日ビルのアラスカで、白雪会発起人及京都市在住芸能記者を招待しての御祝いパーティーが開かれました。ローズ色にカクテルドレスの富士子さんは明るい微笑みを堪えて歓談し夕食の一時を過ごしました」
若き日の山本富士子さんの後援会がアラスカで開かれた模様(昭和30年 白雪会ニュース)